ブログ

HOME

>

ブログ

>

ブログ(詳細)

2026.10.26

エッセイ

「ちょっとの差」

「ちょっとの差」

 

故福井社長は、私が腎臓を患っているにも関わらず

「コンピュータをやりたい」という願いを聞いて下さり

採用して頂いた大恩人であり、常々、

「栩野君、何事もちょっとの差だよ」

と教えて下さいました。

 

「時流」を読むと言いますが、

昭和26年に経済統制が解除されて姫路から大阪に出て来られて

「担ぎ屋」とおっしゃっていたが、

大阪の玩具を満員列車の中、リュック一杯、手に一杯持って

北海道まで行商に行かれたとの事です。

 

まず、「なぜ、北海道なのか?」という疑問が出るが、

同業他社は東京などの消費地に群がり価格競争が厳しいが

北海道まで行くと高く売れて、同じ量を売るのだが

東京で売る他社より利益を得ることができたとの事だった。

 

類稀な体力の持ち主だったからこそ出来たビジネスを展開して

商売が軌道に乗ると兄弟や社員を雇って会社にされたのだ。

 

余裕が出来た頃に北海道からの帰りに東京に寄って、

進駐軍のお払い箱の中古車を買って来たそうだ。

 

この中古車を数カ月乗り回した後、売ったら儲かることが分かり

玩具会社は兄弟に任せて、中古車販売に転身されたのだ。

 

まず第1回の転換点に来た時に、

儲かっている玩具ビジネスを兄弟に任せて

これから始まるモータリゼーションの時流を掴んだのだが、

当時、20代であったとしても「夢」にリスクをかけたのだった。

 

そして、外車中古の仕入先を開拓して、

福岡のあった極東フォードの十河氏と出会い

良質な中古車を安定的に仕入れるルートを確立し

高速道路もない地道同然の国道2号線を運転したそうだ。

 

これも「なぜ、福岡?」という疑問が残るが、

フォードから直接買い輸送する訳だが、

他社は社員が行なうので輸送に時間がかかったが

休憩回数を減らし、長時間労働で大幅な時間短縮が出来

その浮いた時間を整備に充てて品質に拘ったそうだ。

 

同じフォードの中古車でも価格が安く品質が良いと評判になり

繁盛されたのだ。

 

しかし、フォードが日本から撤退する際、十河氏が日産に入社し

十河氏が「これからは国産の時代」といって代理店を進めたのだ。

 

つまり、ビジネスモデルが崩壊する危機に十河氏のアドバイスで

浪速日産モーターを立ち上げたのだ。

 

外車中古で顔なじみの経営者に日産の商用車を販売して

たちまち日本一の販売店になったそうだ。

 

その恩人の十河氏が米国日産を立ち上げて帰国して

フェアレディZのプロジェクト・マネージャーをされていたが

十河氏は「これからは乗用車の時代になる」とアドバイスして

日産と代理店契約の変更を勧めたそうだ。

 

当然、日産との交渉が進まず二進も三進も行かない状況の時

トヨタのオート店構想が出て、当時、大阪トヨペット(トヨタ直営)の

社長だった加藤誠之氏が福井さんの相談に乗り

フランチャイズ契約を解除する為に必要な返済資金支援をして

見事にトヨタ入りが叶ったという事だった。

 

「これからは乗用車の時代」と言った十河氏も設立発起人になり

常務として米国流のマーケティングを展開されて、

すぐに日本一のトヨタオート店になったそうだ。

 

この転換も福井社長にすれば「ちょっとの差」だとおっしゃるのだ。

 

私が入社したのは転換5年目の頃で

まだ、社内には日産時代の風習が残っていたが、

コンピュータを担当して改善活動を展開して

例えば、新車在庫が平均60日だった帳簿管理から

コンピュータを使ってナント15日まで短縮して

トヨタへの支払いは45日だったので丸々1カ月手元に残るようになり

転換時の借金などを随時返済できるようになったのだ。

 

経理部長は「とっちゃんのお蔭で資金繰りに苦労しなくなった」と

わざわざ言ってくれたこともあった。

 

これも福井社長が「IBMの方が栩野君の為になる」と言って

富士通やNECはパッケージ付で、しかも安いにも関わらず

全て自分でソフトづくりするIBMを買って下さったお蔭なのだ。

 

たぶん、故福井社長は

「IBMを選んだのも、ちょっとの差だよ」

とおっしゃると思うが、

ホンマに大変な「ちょっとの差」だったと今さらながら思うのだ。

一覧に戻る

© 2021 有限会社エー・エム・アイ