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2026.10.21

エッセイ

「あり余る時間」

「あり余る時間」

 

相談役になって1年と4カ月になる。

 

この期間を振り返ってみると「急激に仕事が減った」と実感。

 

ホンマ、「余生」という言葉が身にかかってきた。

 

AIで「余生」を検索すると

「余生(よせい)」は、人生の残りの時間・残りの生涯という意味です。

多くは老後や、人生の終わりが意識される時期について言います

と返って来て、

さらに、漢字を分解して

「余」は「あまる・あまり」という意味で、「余裕」「余地」などにも使われ

「生」は「いのち・人生」

と丁寧に回答し、その上、

合わせて「本来の時期を過ぎて“余った”人生」というイメージが含まれますが、

現代では必ずしも否定的ではなく、「第二の人生」「老後の時間」といった

前向きな意味でも使われます。

とあった。

 

ホンマ、「分かっているわい」。

 

少しでも「前向きに」と思って、いろいろと対策を打ってきたが

例えば、「独り言川柳」を毎日詠むようにしたが、

だんだんコツを覚えて、サッと詠めるようになった。

 

同じように「エッセー」を書こうと思ったが

これも「テーマ」が見つかれば、余り時間をかけることがなくなった

と言う風に「コツ」が掴めるようになった。

 

どうやら、知的な活動だけでは時間が余るのだ。

 

そういう意味で「生活スタイル」のイメチェンを図っている。

 

今までは「机」に向かって座って「何か」を考えていたが、

その「何か」だけでは時間が余るので

お昼の準備で買い物兼ねて事務所を出ていたが、

「買い物」を後回しにして喫茶店で仲良しグループと談笑する

という風に変えている。

 

地域の話や病気の話、少し、変わったところでは個人の噂話などが中心で

野球やスポーツ、政治もネタになっている。

 

皆、他人のことには厳しい。

 

政治では自分の立場で見るから

「して欲しい」ばかりになる。

 

日本の競争力や人口問題などはそっちのけ。

 

「年金」でも、少し上がったが、物価高騰に追い付かないと嘆くが

70前半で「何もせず」に暮らしている方が甘いのと違うかと

言ってみたい。

 

少しでも「仕事」をすれば、僅かばかりでも収入があるが

何もしないのでは金が出るばかりで

上下で大きな違いになるのは自明の理。

 

「人生百才時代」で70前半ではまだまだ若いと頑張らねば・・

と言いたいが、そうも行かないようだ。

 

少し頭が痛いと言っては医者に行き、どこが悪いと自慢(?)話。

 

自分の身体だから大事にせねばならないが、

幾らなんでも「薬」を飲み過ぎていると思う。

 

そんな状況を見ていると

自分の生活スタイルはまだまだ健康的な方だ

と思う。

 

それでも、「時間」が余るのだ。

 

特に、晩は野球があれば、それで時間をやり過ごすことができるが

終わってしまうと見る番組がない。

 

衛星放送やCSと契約して「水戸黄門」など昔の娯楽番組を見ているようだが

私は、昼間は必要がないので契約しない心算。

 

「貧乏人」は散歩でもして健康に留意して

お風呂に入ってグッスリ眠るのが関の山。

 

そうや、もっと自転車を使って体力消耗させねばと思うが

目的のないことでは自転車も乗る気にならない。

 

ホンマ、「秋の夜長」を「どう過ごそう」かと思うが、

やっぱり「散歩」くらいかなと少し前向きに思う。

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