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2026.09.09

エッセイ

「小道具」

「小道具」

 

一般的に「普通」であることは「刺激」がなく詰らないものだし、

「当たり前」になって「感謝」も薄れるようになる。

 

特に「仕事」となると「忍耐」という面が勝ってくるので

「楽しむ」ということが難しくなる

という状況に陥りやすくなるのだ。

 

余り変化しない仕事を毎日行なうには

仕事の中に「楽しむ」という要素が必要になるが

お客様と接する方々は「鏡の法則」で

お客様を「喜ばす」という手段を工夫することができるが、

そうでない方々は「受け身」のまま過ごすことになる。

 

最近は非接触が普通になりオンラインでは表情が分かりにくいし

LINEのようなツールでは「既読」のプレッシャーがかかるだけとなり

「対応」を強いられるプレッシャーに「被害」意識にもなりかねない

という現実がある。

 

これが「今の時代」と言ってしまえば、それまでだが、

AXと言われるように、いろんな分野でAIが浸食するので

ますます「人の顔」が薄れるのだ。

 

産経新聞に「NHKは政府の回し者」という主旨の論説があったが

確かに、NHKは受け身に回って、

官庁の広報に成り下がっていると言われても仕方がない報道が多い

というのも事実だ。

 

もうすぐ3年になろうとするが‘24年元旦に起こった能登半島地震で

「にげて!」

と絶叫したアナウンスのような人間味あるケースが欲しいように思う。

 

「線状降水帯」と言わずに「大雨」や「集中豪雨」の方が

「ずばり」の表現だという説だったが、私も同感だ。

 

危険レベルを5段階で発表する気象庁の姿勢をそのまま報道する

という姿勢は公共放送の限界なのかもしれないが、

「あぶない」「すぐに逃げて」

の方が心にスッと入り込むと思うのだ。

 

TBSのお昼のワイドショーで気象予報士の森さんが

自作のパネルをつくって解説しているが

たまにうまく動かないなどの場面もあって

森さんのご苦労がよく伝わっていると思うのだ。

 

つまり、「自作のパネル」=「小道具」なので、

こういう一工夫が「人間味」を出しているのだ。

 

「公共放送」と「民放」の差があるのは仕方がないが、

「時論公論」などは画面で上手く表現しているが、

スマート感はあるが言葉の重みが伝わらないので

「ふーん、そうか」という印象だ。

 

そういうNHKの番組でも

「トリセツショー」や「鶴瓶の家族に乾杯」などは

いろんな面で人気がある。

 

「トリセツショー」はレベルの高い課題を

分かり易くかみ砕いて表現しているので

広く啓蒙する効果があり公共放送の役目を果たしていると思うし

「鶴瓶の家族に乾杯」は鶴瓶師匠とゲストが地方を訪問するが

偶然的な出会いを作って、地域の人柄が伝わってくる

という構図なので脱マンネリの仕掛けにもなって

長寿番組になっている。

 

少し論点が飛躍するが日常生活でも

「小道具」がイキイキさせてくれる

というケースが多い。

 

サラリーマン時代の話だが、

管理職になって高給を頂いていた頃は

それに見合う「服装」や「時計」などに配慮した経験がある。

 

余り高級な「服」や「時計」ではなかったが

少し背伸びして買ったので出会う人たちの反応を楽しみした事があった。

 

また、自作の手帳を作って、少し高級なフォルダーで使用したら

お客様の目にとまって「褒められた」という経験があった。

 

つまり、「物」を買うよりも自作して「高級感」を醸し出す工夫で

それに必要な小道具を揃えたりしたのだが、

「オリジナルを編み出す工夫」

を今も楽しんでいる。

 

この記事を書くのもオリジナルだが、発表する媒体(小道具)は

Facebook、X、ブログ、HP、メルマガ

とサブスクで固定費化しているモノばかりで

応用する工夫を日々楽しんでいる

というのが現状なのだ。

 

読者の皆様がどのような反応なのかは直接感じることはないが

レスポンスが見えるので間接的に感じており

ブログのカウンターはついに20万を超えたのも

少し「自慢」という感じでいる。

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