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2026.08.20

エッセイ

「和敬清寂」

「和敬清寂」

 

禅語に「和敬清寂」(わけいせいじゃく)がある。

 

千利休が茶道の精神を四字で表した言葉とされ

「和」:心を合わせること

「敬」:お互いを敬いあうこと

「清」:清らかであること

「寂」:寂びた美であること

と言われている。

 

まず、「和」が大切だが、茶道では

「作法」を身につけるだけで「阿吽の呼吸」になり

場を和ませるために話をしたり、

集中すべきところはあえて黙っていたり

するそうだ。

 

確かに、「場を和ませる」ことが出来れば、

人間関係がよくなるので大切なことですが

意外に難しい。

 

「敬」は「お互いを敬いあうこと」とあるが

何事も「鏡の法則」なので、まず自身が相手を敬うことがポイントで

これはどんなシチュエーションで重要で

幾ら「場を和ませる」為に面白い話をしても

相手を敬う気持ちがなければ響かないので

特に、相手に意見する場合に重要なポイントである。

 

次に、「清」だが、「清らかであること」とあるが、

邪念に満ちた煩悩を抱えていると

幾ら、その場で「清らかな心境」なったとしても

どうしても内に隠れた「煩悩」が表情に出て来るので

例えば、商談でも「売ってやろう」と意気込んでいると

その煩悩が表情に出て「お客」は引いてしまう

という事になる。

 

最後の「寂」は「寂びた美であること」だが

「わびさび」という言葉があるように

元来、2つの視点をもった言葉で

「わび」(侘び)は質素で簡素なものの中にある独特の味わいや美しさ

「さび」(寂び)は古くて侘しいものの中にある独特の味わいや美しさ

と言われている。

 

つまり、何事も新しい物が良いと「きんきらきん」にまとうより、

その逆に、使い古した物でも清潔に着こなす方が味わいがある

という事につながるのだ。

 

私はサラリーマン時代に「トヨタ方式」を学んだが

「改善」というのは今の設備で「やり方」に工夫を加えることで

「埋没原価」と言って償却済みの設備に工夫を凝らす

という姿勢を教えられた。

 

つまり、「改善」の風土がないと

幾ら最新設備を誇っても「質的向上」の持続性がなくなり

設備投資の繰り返しになる

という事で

「改善は人づくり質づくり」

という標語で「人」の質的向上が大切だと教えられた。

 

その基本姿勢の中に「和敬清寂」の禅語が輝いている

と私は解釈している。

 

特に「わびさび」を身につけないと

新しい物ばかりを追うようになってしまい

設備の質的向上があっても「人」が追い付かないと

思わぬ結果に陥ることがあるのだ。

 

最近は、個人のライフスタイルに「メルカリ」が入り込み

新品でも中古品でも長く使わない文明になりつつあり、

すぐに「手放す」という傾向が生まれている。

 

確かに、スピード感があって「断捨離」をテキパキと行われるが

本当の意味での「価値」を味わっているだろうかと懸念するので

「心」が荒みはしないかと思っている。

 

「物」への愛着は、

その「物」を如何にして「活かすか」という事であり

「成仏」してもらうという「心」につながる

と思っている。

 

禅語「和敬清寂」の持つ意味を大切にしてきた日本文化を

今一度、見直して欲しいと願っている。

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