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2026.08.16

エッセイ

「北前船」

「北前船」

 

私は三波春夫さんの歌謡浪曲が大好きで

いろんな曲にチャレンジしている。

 

キッカケは15年前のOB会で

先輩から「来年、俵星玄蕃を歌え」と指名されたことだが

それからユーチューブで聞くようになり

歌詞を覚えて、空で歌えるようになった事だった。

 

この様子をFax通信に書いていたら

広島の木原先生から「高田の馬場」や「赤垣源蔵」などの

忠臣蔵関連の曲を教えて頂き全集を買った

というエピソードがあった。

 

最近、若手歌手が歌謡浪曲を披露するようになり

「塩原多助」や「その夜の上杉綱紀」などを

知るようになった。

 

その過程で「ああ、北前船」という曲にであった。

 

「おとこ~ いのちーの 北前ぶーねーわ~」から始まる曲だが

リサイタルでは2番として

「あわーじ 島から えぞ地をめーざーす~」

と歌い始めて主人公の「高田屋嘉兵衛」が登場する。

 

同じ地域の偉人である紀伊國屋文左衛門は

生まれが和歌山なので「紀文」の名前で知っていたが

恥ずかしながら、私は大阪に居ながら

「北前船」の存在は知っていたが「高田屋嘉兵衛」を知らない

という状況だった。

 

その他、会津屋八右衛門(島根県浜田)などの偉人を

歌った歌謡浪曲があり、

三波春夫さんは「歌う学者」とも呼ばれていた。

 

さて、「ああ、北前船」に戻ると

兵庫県の淡路島から西周りで日本海を巡って北海道に行くコースと

東周りで太平洋を巡って行くコースがあった

と言われている。

 

コースの途中で各地の港で交易しながら函館まで物資を運んだそうで

1往復で、今で換算すると1億円の儲けになったそうで財をなしたが

函館の繁栄に尽くし、郷土淡路島の繁栄の為に尽くした

と言われている。

 

特に、今でいう北方領土や樺太は北洋漁業で有名だが

当時のロシアと交渉して漁業を可能にしたと言われている。

 

ロシアとの交渉では捕虜になった事もあったとの事である。

 

流石「偉人」と称えられるのは

財をなして満足するのではなく、地域の発展の為に尽力した

という「志」の高さだと言われている。

 

この辺はウイキペディアを参照して頂ければ詳しく分かるが

私は、この「志」は三波さんにも共通すると思っている。

 

「浪曲」は三味線一本で歌い上げる芸だが、

これでは後世に引き継がれないと歌謡浪曲という分野を切り拓いた

という話に「志」を感じるのだ。

 

私が「俵星玄蕃」を歌えるのもカラオケがあるからであり、

いろんな「偉人」を知ったのもカラオケがキッカケだ。

 

時代がドンドン変わっており

日本の「偉人」の存在が薄れていく流れになっているが

日本人のアイデンティティとして

彼らの「志」を歌で語り継ぐことが出来ている事実がある。

 

長女である三波美夕紀さんが「志」を継いで

三波クリエイツを運営して若手歌手の育成に励んでいる。

 

三山ひろしさんは「所作」を習い三波さんの歌謡浪曲を

あたかも三波さんの再来のように歌っているのは有名である。

 

私が推測するには「ああ、北前船」という曲は

レコードの2番・3番は違った歌詞になっており

無理矢理、1枚のレコードに仕上げた感があるが、

本来の3番は50周年リサイタルで披露している

「淡路島から 蝦夷地を目指す 船は高田屋嘉兵衛よ」

が三波さんの本音ではないかと思っている。

 

カラオケで歌う時に3番の歌詞を無視して歌うと

三波さんの「意思」に近づけると思っているが

友人たちは「替え歌」かと疑っているのが現実で

ホンマ、説明までする必要ないので堂々と歌っている。

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