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2026.08.06

エッセイ

「男の美学」

「男の美学」

 

私が入社したトヨタ系販売店は

戦後、玩具問屋→中古外車販売→日産販売店→トヨタ販売店と

「蛻変」を何度も繰り返した経歴があった。

 

特に日産陣営からトヨタ陣営に鞍替えできたのは唯一の存在であり

日産と契約解消交渉で財務体質が悪化したが、

当時、大阪トヨペットの社長していた加藤誠之氏の推薦を得て

なし得た素晴らしい経歴を持っていた。

 

‘68年にトヨタオート店になり、

米国日産の西部支社長した経歴を持つ盟友でもある十河氏を役員に迎え

転換時3拠点だったが、私が入社した‘73年には12拠点に発展し、

さらに20拠点まで拡大した会社であった。

 

この会社は故福井社長が一代で作りあげたのだが、

盟友の十河氏のアメリカ流の洗練された店舗づくりや管理手法が

功を奏したのも事実である。

 

私は‘73年入社だが、その1年前に面接を受け

「腎臓を患っているのでコンピュータをやりたい」

という願いを聞き入れて下さった大恩人だった。

 

当時、転換後5年であり、まだまだ資金繰りが厳しい状況であり

さらに「オイルショック」が起こって販売不振が続いた

という時期だった。

 

私は、何度も「コンピュータをやりたい」と自己申告に書いて、

上司の十河専務に「TooHot」と赤字で書かれた位で、

トヨタも社内もコンピュータ導入に反対していたが

‘70年にIBMがシステム32という世界初のオフコンを発表した時に

福井社長は「これなら、わしのポケットマネーで買ってやる」と

言って下さったのだ。

 

バッチ処理機だったが社内の統計業務をシステム化が完了した時に

「再建5ヶ年計画」の一貫としてコンピュータを入れて下さり

「車検DM」を発行するようになった。

 

IBM機はFPDでデータ入力するタイプだったので、

経理から新車注文書を借りて車検到来期のデータづくりをし、

会社は電通に依頼したしゃれたデザインの車検DMを用意したので

営業所から「知らない顔の客が来る」と喜びの電話があった位に

大ヒットした。

 

当時はオイルショックで新車販売もサービス売上も前年比70%と

大きく落ち込んでいたが、

「車検DM」の威力でサービス売上が前年比150%と躍進し

会社経営を救った。

 

ともかく、福井社長も十河専務も一流志向が強い方で

それぞれ「美学」を持っておられた。

 

十河専務は娘さんが「公文」に入社して、

米国に「公文」式を普及させるという夢を肴に転職され、

見事、米国で「公文」式を普及された。

 

福井社長は大阪の名門ゴルフ場「茨木」のキャプテンをされ、

55才の時に世界シニアでチャンピオンになった経歴があり

ボブ・トスキとも交流があった方である。

 

私は「企業文化」を実感していました。

 

トヨタ陣営なのでトヨタ文明が当然なのだが、

小さい会社ながら独自性が強い「文化」があった。

 

例えば、卑近な事例では

コピーはゼロックス、コンピュータはIBM

という海外の優れた機械を導入していた。

 

私はIBMの次の機種を選ぶ際に

富士通がパッケージソフト提供でレンタル60万円だったが

IBMは自社開発でしかもレンタル96万円と1.5倍だが

故福井社長は「IBMの方が栩野君の為になる」と言って

わざわざ高い方を選んでくださったのだ。

 

「男の美学」というべき得たい知れないことを

すんなりと教えて下さったのだ。

 

私は関西学院の卒業生なので

建学の精神「Mastery for Service」(奉仕のための練達)

を胸に経営して来ましたが、

「お客様の発展の為になる」

という信念でいろんなサービスを提供してきたが、

桁違いだが「私なりの美学」である。

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