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2026.06.30

エッセイ

「あがってなんぼ」

「あがってなんぼ」

 

ゴルフする方なら経験があると思うが

「あと〇〇で90切れる」

とか途中で思うと

途端にリズムが狂ってスコアが悪くなる

ということがある。

 

こんな時に同伴者から

「あがってなんぼやで」

と言われるのだ。

 

故福井社長は55才の時に世界シニアで優勝した方だが

日本でも名門茨木のキャプテンをするハンデ+2という腕前。

 

しかし、時には「うまくいかない」ということがあるそうで

「90叩いた」という時は一番近い営業所では

ご機嫌が悪いのでピリピリしていたそうだ。

 

その故福井社長から

「栩野君、途中は飾るな。あがってなんぼや」

とよく教えられたのだった。

 

私はコンピュータを担当しており、

同業他社に「追い付け、追い越せ」を合言葉に

一生懸命に頑張っていたのだ。

 

最初はバッチ処理のIBMシステム/32だったが。

4年経過してオンライン処理ができるIBMシステム/34になり

本社業務の殆どをオンライン処理にして、

守口にあった部品課の業務もオンライン化したのだ。

 

そして、富士通が発表した「世界一最高速」と謳ったFax機を

全営業所に入れて、部品の注文をFax化したのだった。

 

発注伝票は専用で薄い青線でFaxが読まないようにした物で

ホントに次から次へ伝票が出て来て、

多分、当時、日本唯一の部品処理システムとなった

と自負していたのだ。

 

本社と守口の間は専用線で9600BPSというモデムで結び、

守口側の処理は画面データを送らずに部品だけにした処理で

しかも、コアインデックスという機能をキャッシュ化したので

10万点の部品マスターでも

驚く程に早いレスポンスを実現していた。

 

当時、IBMはオンライン処理でクレームが出たら

リファレンス・アカウントと言って、見学に連れて来て

インラインと変わらない速さでストレスがない処理を見せていた。

 

IBMは言わなかったが

全拠点にFaxを導入している同業他社はなく

Faxとコンピュータの連携がうまく行った

という点が本当のポイントだった。

 

このようにIBMのオフコンのソフト開発ではユニークだったので

同業他社がIBM特約店をした時に、

順当ならIBMシステム/38でRDBにチャレンジだったが

IBMシステム/36GPで磁気テープ付にして買ったので

イコール・コンバートが出来てシステム開発の端境期になったのだ。

 

磁気テープは

トヨタからの登録情報データや

部品共販の部品マスター

の受け取りに使ったのだった。

 

この端境期に、社外のソフト開発を出来るように申請して

IBMが組織したUOSという団体に加盟したのだった。

 

僅か3年ほどだったが、IBMが困っていた案件で

・大手生命のAPPCで異機種間通信をする開発

・冷凍機メーカーのMRP処理のスピード改善

・東京と大阪間のオンライン処理のパケット通信料の改善

などを担当したのだった。

 

その後、トヨタがテレックス処理をSNUFで行なう時に

大手生命での経験が生きて、

トヨタの担当者が「初めて一発で繋がった」と驚いたように

この技術力の高さを示したのだ。

 

「あがってなんぼ」だが、

過去を振り返ってもると

「低い鼻も高くなる」

という状況だった。

 

因みにAPPCの経験は、

営業所オンライン化の時に9370というホスト機を専用にして

既存のIBMシステム/36とAPPCで繋ぐことができて、

営業所オンラインの処理速度でも同業他社の水準以上だった。

 

まぁ、これもIBMが次の機種に移行するのに

イコールコンバージョンで済んだので余計な開発が不要だった事と

同業他社がIBM特約店になったので

IBMシステム/36を最大構成で買う根拠になり

仮にIBMシステム/38にしていたら

APPCで異機種間通信が出来なかった

というラッキーもあったのだ。

 

ホンマ、「あがってなんぼ」だが

「ラッキーも実力の内」と実感しており、

自分自身「ついている」と思っているのだ。

 

これからも余生を生き抜くのだが

「ついている」を維持して「あがってなんぼ」で

良い結果になるように

「元気」を基本にして行きたいと思っている。

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