ブログ

HOME

>

ブログ

>

ブログ(詳細)

2026.05.29

エッセイ

「中小企業家同友会」

「中小企業家同友会」

 

私は平成7年(‘95年)7月に創業した。

 

トヨタ系販売店時代に指導を受けた「トヨタ方式」を武器に

改善指導で営業所の指導をして自身があったが、

IBM特約店の営業としてお客様を回ってみると

意外に「トヨタ」って嫌われていたのだ。

 

そこで、「トヨタ方式」をベースにしながら

「仮面」を被る

と考えて、船井総研客員経営コンサルタント養成学校で

「船井流」

の資格を得たのだった。

 

しかし、社内事情があって社員として実施できずに

‘95年に創業して憧れの経営コンサルタントになったが

お客様がない状況だったので困っていたら、

たまたま、友人が「PL法セミナーを手伝わないか」と誘ってくれて

そのフォローで第1号のお客様と運命的な出会いになったのだ。

 

お客様は建設機械製造卸の中小企業で、

主に左官業がベースだが、建設関連の機械を製造されていて

自社⇒地方販売店⇒ユーザー

という流通形態だった。

 

課題は自社の企画が全国の末端まで浸透するのに半年以上かかる

という状況だった。

 

私は企業診断をして販売店網を作る提案して

その連絡手段として当時企業なら100%普及のFaxを使う

としたのだ。

 

Fax用の「ちらし」づくりを模索する為に自社で

「AMIコンサルティング Fresh&Hot情報通信」

と銘打った機関誌を月2回発行してDo-Howを得て

「満を持して」発信したのだ。

 

その効果は僅か半年で年商16億円から20億円に飛躍する

成果を出したのだった。

 

勿論、お客様は決算賞与と海外旅行を楽しまれた。

 

この成功で「自信」がつき、次々とセミナーで集客して

一時期アルバイトを入れて8名の体制になって

年商4300万円の記録を残したのだった。

 

しかし、「まさか」が「9.11テロ事件」で起こり、

例えば、名古屋へセミナーに行く時に松原ICから名古屋ICまで

前後にクルマがなかった

という具合に流通がストップしたのだった。

 

この売上が激減する中で

大阪府中小企業家同友会の案内があり

何らかの手がかりを得ようと入会したが、

当時の同会の運営がメーリングリスト中心だったので

僅か半年で「良さ」が分からず退会したのだった。

 

アルバイト含めて8名いた体制を

徐々に「辞めて」行って最終2名残して3名体制になったので

お蔭で厳しいながらも資金を繋ぐことが出来たのだ。

 

途中で発生した借金も徐々に減らしながら経営を続けると

京都のお客様から紹介が来たが、

このキッカケが中小企業家同友会だったのだ。

 

一度、退会しているので躊躇したが、

京都で開催された秋の総会でゲストに参加された兵庫の方が

「支部長する会社は経常20%目指せ」

とおっしゃったので見直すキッカケになり

「2社が同友会活動しているのに嫌ってばかりでは不味い」

と思って2012年に再入会したのだった。

 

そして、「指針セミナー」を受け、同友会理念の初っ端に

「自主的近代化と強靭な財務体質づくり」

とあることを知ったのだ。

 

確かに、両社とも「自主的近代化」として、

弊社がHPを制作し、さらに、Faxマーケティングを実施

という状況だが、

なかなか「強靭な財務体質づくり」までは行かなかったのだ。

 

しかし、紹介されたお客様でHP納入時に

「専務が愛知川にダイブした」

という衝撃的な話が起こり、

その原因が彦根のお客様に専務が「ねじ」納入を行なっており、

その関連会社へも納入と営業で回っていた事だった。

 

つまり、納入営業で回ると途中で商談が発生しても

最後まで納入する必要があり、その後、商談に戻るという事で

夜遅くになる事がしばしばだったのだ。

 

この話を聞き、私は透かさず

「彦根に倉庫を作って、オンラインで納品伝票を打ち出したなら

女性パートでも納品ができる」

と答えたことが大きな転換期になったのだ。

 

これで「納品」から解放された専務(現社長)は

営業の自由ができて、

幅広い範囲の活動が出来るようになったのだ。

 

しかし、大手企業は納品ミスを毎月公表しており、

納品ミスを抜本的に見直すことを求まられた時に、

相談があり、

「EDIデータを活かしてバーコードでチェックし記録する」

というシステムを提案して三男が作成納品したのだった。

 

この事から大手企業との関係性がさらに深まり、

他社が行っている業務を次々と引き受けるようになったのだ。

 

こうして、お客様は業績が回復した時にコロナ禍があり

公的な融資の話があるがと相談を受けたが、透かさず、

「今は資金的に余裕があるが、

信用枠を拡大する為にも実績を作った方が良い」

とアドバイスしたのだ。

 

約2億円の余裕資金が出来た時に、

大手企業の業績が向上し始めたが、

それまでの場内下請していた会社の人員が減少した状況だったので、

場内下請けの依頼を受ける形で引き受ける事ができたのだ。

 

これで、単なる納入業者から下請企業にもなり、

さらに大手企業の薦めで自社工場を作ることに発展したのだ。

 

つまり、必要でなかった2億円の資金が余裕になり、

立ち上げ時のマイナス要因への耐性が十分にあったので、

大手企業の要求に即応することができたのだった。

 

この事で「借入金」も「強靭な財務体質」のひとつと実感して

現在、自社でも商工会議所の「マル経融資」で

政策金融公庫から2年100万円の借入を繰り返して

「信用」を繋いでいるのだ。

一覧に戻る

© 2021 有限会社エー・エム・アイ