2026.05.17
エッセイ
「憧れる」
少年の頃、長嶋選手に憧れて
「サード、長嶋」
と言いながらサイドスローで投球していた。
さすがに、バッティングは長嶋さんのようには行かなかったが、
それでも、結構な長距離ヒッターだった。
そんな私は、大学に入って、
友人たちがゴルフ同好会に入ったので、
私も入会した。
阪神電車の大物駅近くにあったユニチカのゴルフ練習場は
同好会なら50球70円で練習させてくれた。
当時、一般は250円だったので、
2階の打席で遠慮しながら、毎回250球ほど練習した。
大育会の入江さんが1階で練習を始めると
その正確なスイングで同じ個所に落とすのを魅了された。
しかし、私の憧れはジャック・二クラスで
アップライトなスイングでロングドライブ、
これが憧れだった。
私自身は投手の経験があるのでスナップが強いので
脇を締めると250ヤードのフェンスを超える打球を連発した。
2年の時、同志社の同好会と対抗戦した際に
相手は4年生でシングルの腕前だったが、
私のロングドライブに乱されてシャンクの連発だった。
結局、マッチプレーだったが1&2で惜敗したが、
2年生の中で、17番ホールまで行ったのは私だけだった。
しかし、2年の夏に腎臓を患って、
大学にも通えない状態になった。
ともかく、ゼミの先生のご指導で語学だけ単位を修得して
3年になりオペレーションズリサーチの西治先生のゼミに入った。
西治先生は3年のゼミは最低の出席で良いと言ってくれて
可能な限り単位の取り易い科目に集中する具合で
ギリギリの科目数で4年になった。
4年になる前に就職活動だったが、
縁あって故福井社長のトヨタ系販売店に
「コンピュータをやりたい」
と言って就職を果していた。
4年の時、公開講座で理学部が「コンピュータ入門」を6月に開催し、
受講料6千円(当時、大卒の初任給3万円台)だったが、
母にムリ言って受講した。
雑誌にコンピュータシミュレーションが連載されており
シミュレーションに憧れていた。
講座の終わりに理学部の先生が
「夏休みにコンピュータを使いに来てください」
と言ってくれたので、
喜んでシミュレーションプログラムにチャレンジした。
FORTRANで売りをポワソン乱数で発生させ、
仕入を正規乱数で発生させる仕掛けで、
初期値を変えてシミュレーションするものだった。
当時、大学のコンピュータは
CPUがドラムで200KB程の容量だったので、
乱数はサブリーダーから読み込んで発生させるもので
乱数は富士通が特別に作ってくれて
無事にシミュレーションを実行できた。
つまり、腎臓を患ったことで営業系などを諦めて
西治先生の薦めもあってコンピュータをキーに就職
と方向転換したのだ。
お陰で病弱だったが就職できて、
オイルショックなどの影響もあって反対の嵐の中、
何度も自己申告に書き続けて上司にToo-Hotと書かれたが
故福井社長が「ポケットマネーで買ってやる」と
世界初のオフコンIBMシステム32を買ってくれた。
これをキッカケに
「先行する他社を追い抜くシステムづくり」
が私の憧れになった。
約20年でIBMがいう戦略的情報システムを構築して、
同時に進めた現場改善の進み具合を「見える化」して
競争原理を取り入れた管理システムを完成させた。
「もう、うちにないものはない」という状況になった時、
いろんな事情があって、コンピュータへの憧れが消えたのだ。
大恩ある故福井社長には
「栩野君は期待した以上に活躍してくれた」
と言ってもらえたのがせめてもの恩返しだった。
その後、関連会社を経て現会社を創業して今日に至り
相談役と気楽な身分になっており、
現在の「憧れ」は「百歳現役」だ。
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