2026.05.11
エッセイ
「社畜」
この前のGW明けのニュースで
若い女性が「社畜になって働きます」と言っていたのが
気になった。
「社畜」って、どう考えても響きが悪い。
調べてみると
「社畜とは、会社と家畜を組み合わせた言葉で、
会社の言いなりになって
長時間労働や低賃金など過酷な働き方を強いられている
会社員を揶揄・自虐的に指す俗語です。」
とあった。
私の感覚では
多分、現場に近い人たちなのだから品質の仕上げに直結する
という重要な仕事の人たちと推測する。
つまり、お客様に直結する仕事なので、
すべてが顧客満足につながっている
と自負して欲しいと思うのだ。
有名なマズローの欲求5段階論に照らすと
「社畜」と言った人は「社会的欲求」を満たされた人だが
「承認欲求」や「自己実現欲求」を持たない
と言えると推測し、
決して、「生理的欲求」や「安全欲求」のレベルではない
と思いたいと思う。
なんでも「正規分布」で表せると思うが
1σから-1σの間にいる約68%の層で現状に満足していると
彼女を勝手にイメージするとその中でも恵まれた
海外や長期旅行を楽しめる大手企業の従業員
とも推測できる。
しかし、一抹の不安を感じるのだ。
世の中はドンドン変化しているので
大手企業と雖も、明日はどうなるか分からない
とも言えるから、
アリとキリギリスの喩えではないが、
バカンスを楽しんで英気を養うだけでは先行き不安が残る
ということだ。
さて、少し違った視点になるが
「管理職」という名の「社畜」
が多くいると実感しているのだ。
多くの企業で管理職らしい肩書を持っているが
実は上司と部下に挟まれて「何もしない」という人がいる
という現実がある。
上から言われたことを咀嚼して
部下に伝達することが本来の立場だが、
なにも考えずに正に「Yesマン」のような顔して
しかし、裏に回れば上の悪口を言いふらす
という風な実態があるのだ。
これでは部下は悪口に賛同するかもしれないが、
船井総研の宮内先生(当時)が「党内野党」と言っていたように
主流からは遠く外れた場所にいて
「できもしないのに批判ばかりする」
という状況になるのだ。
「批判」なので部下も聞いて溜飲を下げ、
場合によっては、この方の周囲にタムロする状況があり
昔なら居酒屋でワイワイ騒ぐという集団を形成するのだ。
酒の肴にして「批判」しながら、
どう解決するかと意見をいうが、自らは実践しない
という「言うだけ」の存在なのだ。
つまり、「社畜」という存在ではなく、
能力があるように見せながら自己満足している
に過ぎないので「落ちこぼれ」的な存在なのだ。
私は人生で2度「社畜」に成り兼ねないピンチがあった。
1度目は左遷人事の時で、
当時は次長職だったが降格人事で業務課長に命じられた時だった。
この時は、自分の思いが強かったので
「社長はクルマの道、私はシステムの道を歩みたい」
という主旨の辞表を出して「社畜」になるのを回避した。
2度目は転職した先で、子会社風土を改革しようと
自費で船井総研客員経営コンサルタント養成学校に通った時だった。
パッケージ販売が行き詰まり、
自力でシステム開発できない状況から
自らコンサルタントの資格を得て提案型のソフト開発を志したのだ。
これを支持してくれた役員が東京に転勤したので
「浮いた存在」
になったので、賛同を得られず現会社を創業した
という結論になった。
この31年を振り返ると
ホンマに「九十九折」の山坂だったが、
運よく今までやって来れた、
しかも、去年、事業承継できた。
経営コンサルは
「役に立たない」と契約を打ち切られる
という宿命があるが
「縁」が深いお客様に恵まれて
「運」を開いて「つき」を呼んできた
と感謝している。
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