2026.02.20
MMQCニュース
右掲は‘90年5月にIBMの管理職向けに自社のシステム開発について話し
た資料にある「戦略的変革」(Strategic Tranformation)のグランドデザインです。
この特長は「高級車販売店になる」という具体的ターゲットを掲げており、
現状とのギャップを拾い出し、
・組織の視点では20拠点時代の競争原理と中古車部の収益部門化
・改善の視点では「営業所の4S」でクリーンな営業所づくりの活動
・情報の視点では各管理項目を競争原理を働かす「管理資料」で見える化
を主な柱としながら、「30分x600人=40人」つまり、一人30分の改善を行な
えば600人の会社なので、さらに「40人の会社」ができると掲げています。当時
年商300億円を超えている状況でしたが、利益貢献度が高く評価されていました。
この話のポイントは「高級車販売店になる」という具体的な戦略があった事ですが、実際に、経営コンサルタ
ントになって30年の経験を積みましたが、このような展開が出来ずにいます。例えば、最初のお客様で初年度
(半年)16億円から20億円と飛躍するラッキーがありましたが、当方の考え方を支持する役員と売上が伸びた
のは「前食いしただけ」というネガティブな役員がいて、次の展開をダイナミックな物にできずに終わった苦い
経験からスタートしました。このお客様には次男が就職して頑張ってくれていますが、私を支持して下さった役
員の方々とは時々交流しており、その度に「あなたの言う通りにしていたらなぁ・・」と嘆きを聞いています。この
お客様と契約した際に、余りにも多方面にわたる提案書だったので船井総研の方々が「本当にやれるの?」と
危惧していましたが、中小の同族企業なので大丈夫と思っていたのです。しかし、現実的には兄弟間でも意
思統合するというのは難しいと初めて体験したのです。
私の勤めたトヨタ系販売店の故福井社長は「栩野君、何事もちょっとの差だよ」と教えて下さいました。戦後、
玩具問屋→中古外車販売→日産販売店→トヨタ販売店と蛻変を繰り返した方がいう「ちょっとの差」は物凄い
ことばかりです。故船井先生は「時流適応力相応一番主義」とおっしゃっていますが、戦後の復興から時流の
変わり目をつかまえて、しかも「儲かっている」うちに決断して来られたのです。つまり、「儲かっている」という
「勢い」がある時に変化を決断する事がポイントです。
「そういうあなたはどうなのか」という問われそうですが、‘92年に家庭的な事情
もあって、亡き妻が教員という安定を担保にして「社長はクルマの道、私はシス
テムの道」という主旨の辞表を出して関連のシステム会社にNo.2の立場で転職
したのですが、風土が合わず、会社にはDIPS(日本LCA)を導入し、個人的に
船井総研客員経営コンサルタント養成学校に自費で通い「船井流」を学んだの
です。そして、担当したシステム開発の完了を持って独立して今日に至ってい
ます。‘92年当時は結構高給取りでしたが、亡き妻の協力で転職を決意し、
’95年に起業する際は、トヨタ系販売店からの退職金やトヨタ労連の基金など
があって少し資金的な余裕があったのも事実です。
去年7月に三男に事業承継しましたが、6年前から「自主的近代化と強靭な
財務体質づくり」という中小企業家同友会理念に沿って準備して来ました。この
間に三男が青年部会に入り、実家を相続してリフォームして三男が住むように
なり、コロナ禍で老人会活動が出来なくなった機会に事務所のレイアウト変更し
て6人掛けのテーブルを用意して土日に茶話会をするようになり、さらに、外で
働いてくれていた山口さんの希望で社内で仕事するようになりテーブルで談笑
する時間を設けるようになったのです。お陰様で無事に事業承継が出来て、私
自身は相談役になり気楽になっています。‘92年の時に危惧した長男は大手
企業で次男はお客様の会社でと活躍してくれており最幸と思っています。
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